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「お客様が育ててくれたんだよ」

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【コラムニスト】
日立電子サービス株式会社 教育統括本部 
コンピュータシステム技術学校   校長   山田 保 様
【コラムニスト紹介】
山田様は、日立電子サービス株式会社に入社して37年。そのうち現場に就いた期間は32年。先輩や上司の皆様あっての私、というよりも「“お客様”あっての私」とおっしゃっています。
現在、コンピュータシステム技術学校の校長として新人の皆様の指導に当たっていらっしゃり、「これから現場に出る新人にお客様と接する際の参考になれば」というお気持ちで、生い立ちから現場での経験談を通し、“お客様”あっての私を伝える機会を作っていらっしゃいます。
これから数回に渡り、サービス一筋で邁進された姿を現場での経験を中心にご案内致します。
 

第3回コラム 「初めての配属」 - その1

新入社員研修の場であるコンピュータシステム技術学校(以下、コ学)は、入校時期を何期と表しています。私は、昭和45年(1970年)にコ学22期生として入校しました。この年は200名以上が入社し、次の年には700名以上が入社しています。ちょうど団塊の世代が入社した時期で、私が最後の団塊世代なんです。それにしても、こんなに大勢をよく採用したと思います。
この当時は、コンピュータ、通信機器の保守・工事が主な仕事でしたので、保守員はお客様の計算機室に常駐して勤務する“駐在保守”が多かったですね。そのうち、全国の銀行や証券会社でオンラインシステムが稼動し、地方に端末が納入されたり、小・中規模の会社にコンピュータが入り始めると、全国に営業所、拠点が数多く作られました。駐在保守にあわせて巡回保守が始まり、ちょうどコンピュータの黎明期でした。

私の入社からの職歴を簡単にまとめますと、
 ■ 神奈川県秦野地区の保守業務  3年
 ■ 北海道で製鉄所・大学の計算センター保守、営業所の保守管理業務 12年
 ■ グループ会社に出向    2年
 ■ 東京に戻り池袋地区の保守業務 3年
 ■ 大手証券会社の保守業務  10年
 ■ 横浜で営業、企画業務 3年
 ■ 本社教育本部で人財育成業務 4年
会社生活37年のうち、支社・営業所・お客様先等の現場に33年いました。結構、波瀾万丈な経験をしながら、現在のコ学の校長職に至りました。


-初めての配属先

初めての配属先は、主に大手自動車会社の工場で稼動するコンピュータを保守する課に配属されました。私は神奈川県秦野地区の勤務となり、メインフレームを作っていた、日立の工場に3年間勤務をしました。当時、コンピュータの製造は、すべて自動化されていなかったので、女工さんがハンダ付けや製造部分で多く働いていたような時代です。
工場のすぐ隣に寮があり、6畳と3畳の部屋に3人で暮らしていました(プライバシーは、何もなし)。工場は24時間稼動していましたので、宿直勤務も行っていました。宿直は定時勤務後(休日含む)の勤務でしたが、何もなければ寝ていられます。宿直部屋には、部屋にはないクーラーがありましたので、夏の宿直は、部屋で団扇を扇ぎながら暑さを凌いでいるより、はるかに快適でギンギンに冷やして涼んでいました。おかげで、良く風邪を引きました。
寮では、様々な部署の方と暮らしていました。工場で設計応援をする者、保守に必要なツールを開発する者など100名以上いました。設計をする者は、設計の不具合のフィードバックを速やかに反映するために、保守部署と連携し、現場の実態を把握する必要があり、我々の話を良く聞きに来ていました。また当時は、娯楽施設や食べるところが少なかったので、休日には、所属に関係なく車を持っている者に便乗してご飯を食べに言ったり、みんなで海や山に行ったりしたものです。当時のほうがコミュニケーションは良かったですね。
その後、近くに新設された工場や市役所にコンピュータが納入され、“秦野地区”の巡回保守も行うようになりました。

(「初めての配属」 - その2に続く・・・)

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