-当時の保守作業
今は“コンピュータは壊れないもの”というイメージがありますが、当時は定期的にしっかりと点検をしないと動きませんでした。 月1回の点検に8時間以上かけ、さらにデイリー、ウィークリー、半年に1回というように定期点検周期が決められていましたので、今よりもはるかに工数をかけていました。少しでも手を抜くと、確実に障害につながりましたので、今よりもプレッシャーのある仕事だったと思います。
当時は、紙カード(80欄パンチカード)が、主な入力媒体でしたので、大きな計算センターでは、カードを作成するのにパンチャーと呼ばれる女性が何百名もいて、一日中入力データを作成していました。作製する機械をKCP(紙カードパンチ機)といい、毎日のように障害コールがありました。そこで我々保守員が颯爽と現れ、難しそうな顔をして直すと、パンチャーからあこがれの目で見られていましたね。このパンチャーのかたと結婚した保守員はかなりおり、お客様の上司の方から、「うちのパンチャーを取っていかないでくれ」というクレームがあったという、嘘のような本当の話がありました。
ちなみに私の妻は、元パンチャーではありません。 違うところで調達しましたので念のため・・・
点検・障害対策時、メインフレームの動作を確認するために、自分たちで作った最小限のプログラム(ミニプロ)を動かしました。直接、コンピュータから手でデータを入力し、その動作の信号をシンクロスコープで確認し、不具合が合った場合は、徐々に範囲を絞り問題切り分けを行っていきました。最終的に問題のある箇所を確定し修理するというのが手順でした。
また、様々な表示にランプを利用していました。当時は発光ダイオードなどありませんから、すぐにランプが切れました。切れたままにしておくと大きな問題につながりますので、いつもワンケース(100個)を持ち歩き、交換していました。保守員の作業服ポケットは、いつもランプでパンパンにふくらんでいました。
当時の入出力機器は、“メカ機構”が多く、出力機器のラインプリンターは、大きな活字ドラムを、モーターで駆動したベルトで回して印字していました。時間がたつとベルトは磨耗し、活字を打つためにハンマーを使うので、ドラムの打たれた箇所が徐々にすり減り不鮮明な印字になりました。ある時期がたつと活字ドラムを交換をする必要がありました。何十キロもありましたので、交換は二人作業となりかなりの重労働でした。この作業で腰を痛めた人もいました。
移設のため、コンピュータを数メートル動かしただけで、動かなくなるなどは良くあり、お客様から見ても大変なものを扱っている、保守作業の必要性が十分わかって戴けていたと思います。
現在は、コンピュータが小型化し、昔と比べると障害も少なくなったため、保守作業の必要性がお客様には十分理解して戴けないかもしれません。しかし、現在のコンピュータは、昔では考えられないほどの処理能力を持ち、多くのコンピュータがネットワークでつながっています。 ひとたび不具合が起きると、不良部位の切り分けに時間がかかり、致命的なダメージを受けることになります。そこで、どのような難解な障害でも、迅速に不良部位を切り分け、修復してお客様にお渡しするのが、今の「安心の電サ」の使命と考え、全国の保守員は日夜頑張っています。
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