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「お客様が育ててくれたんだよ」

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【コラムニスト】
日立電子サービス株式会社 教育統括本部 
コンピュータシステム技術学校   校長   山田 保 様
【コラムニスト紹介】
山田様は、日立電子サービス株式会社に入社して37年。そのうち現場に就いた期間は32年。先輩や上司の皆様あっての私、というよりも「“お客様”あっての私」とおっしゃっています。
現在、コンピュータシステム技術学校の校長として新人の皆様の指導に当たっていらっしゃり、「これから現場に出る新人にお客様と接する際の参考になれば」というお気持ちで、生い立ちから現場での経験談を通し、“お客様”あっての私を伝える機会を作っていらっしゃいます。
これから数回に渡り、サービス一筋で邁進された姿を現場での経験を中心にご案内致します。
 

第7回コラム 札幌営業所〜関連会社出向時代

(札幌営業所:大学計算センター常駐)
昭和55年、札幌の大学計算センターへの常駐が決まり、新しく納入される大型電子計算機の教育のため、神奈川県秦野市の工場で6ヶ月の教育を受講しました。当時は、新製品が発表されると、納入されそうな全国の支社から基幹員教育(6ヶ月〜2年程度)の研修を受けに来ました。技術の習得はもちろん、工場の設計、検査の担当者と顔見知りになるのも目的の一つでした。そうしてお友達になると、いろいろなことで便宜を図ってもらいました。仕事をする上で一番大切なことは、人と人のつながりですね。

ここではありとあらゆる機器の保守を経験しましたし、5月の大型連休、年末年始は、新製品の納入が集中し、ゆっくりと休みが取れないほど多忙な時期を過ごしました。冬場の寒い日(北海道では、しばれると言います)に機器を搬入するときは、大変でした。いきなり計算機室に搬入すると、外気と室内の温度差で機器の中に結露が発生して故障の原因になるからです。
半日ほど、廊下において温度になじましてから計算機室に搬入していました。

仕事面では、今までとは違い大学教授がお客様ですので、枠にとらわれない自由な発想の方が多く、コミュニケーションをとることにはかなり気を使いました。のんびりしている方、こだわりのある方、ある方面にぬきんでている方・・ですが、ここでもお酒が身を助けてくれました。“すすきの”で2次会、3次会と一緒に飲み歩くうちに、意気投合してお互いの気心がわかり、その後のコミュニケーションがスムーズに行きました。

 昭和57年から、管理グループを立ち上げ、北海道全域の技術サポートを、4年間経験しました。今のような物流体制は、当時はありませんでしたので、障害対策時の部品調達にはかなり苦労しました。車で何時間もかかるお客様には、故障頻度の高い部品と工具一式を置かせて頂きました。保守員が到着するまで電話で対応し、お客様に直して頂いたこともありました。いかにしてお客様のご迷惑を最小限にできるかを、必死になって考えました。今でも地方では、苦労していると思います。

(関連会社出向)
当時保守の委託をして頂いた関連会社に、技術部の部長代理という肩書きで出向することになりました。関連会社を指導する立場でしたが、まだ35歳という若さでしたので、大変苦労したとともに、とても勉強になった時期でした。特に部下の皆さんは年上の方が多かったので、どう付き合っていったらいいのか悩みましたが、定時間内は上司の立場で、定時を過ぎれば人生の先輩としてお付き合いさせて頂くことを、心がけました。

 当時のことで思い出すのが、毎年行う保守サービスアンケートでお客様回りをしたことです。全道約100箇所のお客様にアンケートを配りに行きました。ある時、札幌からサービスカーに同乗して道南方面を回りましたが、ある町のガソリンスタンドで給油をしようとしたら、札幌ナンバーを見た店員が「都会ぶりやがって」とけんか腰だったこともありました。当時は、それぞれの地方で縄張り意識が強かったですね。今はどうなんでしょうか。

当時、大規模なお客様は、休日夜間も駐在していましたが、小規模なお客様の休日夜間の障害は、携帯電話やメールなどまだない時代でしたので、NTT(当時は、電電公社でした)のアンサーホンを利用していました。夜間休日は、保守員が一週間の持ち回りで、アンサーホン当番をやっていました。お客様から会社に連絡がくると“アンサーホン”の留守録機能で、お客様の声を録音します。その後、保守員が持参しているポケベルがなり会社に電話をするのですが、この時電話の送話器にコマンダーという機械をあて操作することで、会社のアンサーホンからお客様の声を聞くという仕組みでした。その後、お客様担当の保守員を呼び出すのですが、連絡が付かないときは、当番が行かなければならないので、当番に当たると一週間禁酒生活を余儀なくされました。酒飲みとしては、地獄の一週間でした。
夜中の11時に旭川のお客様で、システムディスク装置のトラブルがあり、部品一式を持って札幌から夜行に飛び乗り、明け方の5時頃に修復させ、朝一番の業務に間に合ったこともありました。お客様の専務さんからねぎらいのお言葉を戴きました。朝食まで頂き、それまでの苦労もいっぺんに飛んでしまいました。

保守員冥利につきるとは、こんな時でしょうか。

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